試しに就職活動を使用してみました
Vによれば、アメリカの不動産屋が、女性の気をひくため、寝室を「愛のしとね」と強調して売り込みに成功したというが、これを現代の日本におきかえると、台所を「省力化の機器が並ぶ、主婦の城」とでもいうべきか。
蛇口をひねると湯が出たり、流しにディスポーザーがついていることを、さかんに殺し文句にしている。
とくに多いのは、新しい建売住宅に、「ユーティリティー・ルーム」という名の部屋を設け、いかにも主婦が働きやすい家であることを印象づけようとするやり方である。
「ユーティリティー・ルーム」とは、文字どおり「役に立つ部屋」なのだが、はたして、これを使いこなす主婦がどのくらいいるものだろうか。
結果的には「何の役にも立たない部屋」になっているようだ。
昔から日本の主婦たちは、食事の仕度や洗濯などの家事を、向こう3軒両隣と一緒に、井戸端会議をしながら楽しんできた。
いわぱ、家事もコミュニケーション活動のひとつだったのだ。
余談だが、私の家の前に、毎日、トラックで8百屋がやってくる。
定刻になると、近所の老若の奥さま方が集まって、おしゃべりしながら野菜の品定めをしている。
ところが、その八百屋のオヤジの話では、マンションの前で店びらきをしても、あまり客が集まらないという。
マンション族というのは、井戸端会議のようなコミュニケーション活動がお好きでないらしい。
省力化という名のもとに、自動皿洗い機や全自動洗濯機などが購入されているが、これらの省力機器は、電力や水の大量消費によって主婦にわずかなヒマをもたらすだけで、本当の意味の省力化からはほど遠い。
昔、東北地方で、農村改善運動が行なわれ、とくに農家の主婦のために火つきのよい「改良カマド」の普及が促進された。
しかし、これはやがて、「嫁殺し」という名で呼ばれるようになった。
それまで農家の嫁は、火つきの悪いカマドの前で、煙にむせながら、骨休めをしたり、そっと涙をぬぐったりしていた。
ところが火つきのよい「改良カマド」は、農家の嫁から、骨休めをする時間や涙をかくす場を奪ってしまい、より苛酷なほうへ追いやった。
「嫁殺し」は、たしかに改良されていたが、火つきの悪いカマドにかくされた人間的な営みは救えなかった。
改良しなければならないのはカマドより人間関係だということだ。
家事の省力化、合理化という名にかくされた人間的な部分を忘れてはならない。
家事のための新しい省力機器にすぐにとびつくような主婦には、安住の住まいへの道はほど遠い。
就職活動の抽象的な一般論を繰り返すだけで、最後には決まって「就職活動」という説教があります。
就活を受けいれることができれば、就活を使ってスムーズに仕事ができます。